今では想像もできないようなサーフスタイルと開拓精神。
阿出川輝雄さんは日本のサーフィンの歴史を一部始終見て来ているレジェンドサーファーの一人だろう。そしてそこに多大な影響を与えてきた人でもある。現代のサーファー達にも興味深いお話を聞く事ができた。 |
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サーフィンと太東との密接な関係は戦後アメリカからもたらされた文化の流入とパイオニア的精神を持った一部の若者達により築きあげられてきた。ブルース・ブラウン監督作品「エンドレスサマー」にも見られるような勝浦の映像!日本の海に板切れで波に乗る不思議なスポーツを持ち込んだ在日アメリカ人達の存在。正にそんな姿をダイレクトに見て来たのが阿出川さん達世代で、ここから日本のサーフィンの歴史がスタートした。
30年以上も前、数少ないシェイパーの一人として神田でサーフショップ「TED'S」(右写真1969年神田)を営んでいた阿出川さん。当時のお話を笑顔で語ってくれました。
1960年代、神田でショップをやっている頃はお店の状況も厳しかった様です。なにしろ板が売れない。サーフィンの知名度の低さもあったでしょうが、当時月給3万円の時代にサーフボードのお値段は2万ウン千円だったとか。現在でもお値段のはるサーフボードではありますが当時の状況下でこのお値段はそうそう売れないはず。 |
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| そんな中、阿出川夫妻はキャラバンに自作サーフボードを積み込み全国を周りました。もちろん太東にも頻繁に来ていたそう。それでもなかなか売れないボードを泣く泣く質屋に入れたこともあるとか。 |
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そして約30年前ここ太東に移り住み「TED'S」をオープン。何と当時の土地のお値段は一坪千円。。(阿出川さんはこれからという時で買いそびれたみたいです。)その頃の太東は今の様にサーフショップが建ち並ぶということも無く本当に何も無かった。それこそ道すら無いので勝浦までは2時間もかかったと言っておられました。
しかし太東に来てからのショップ業は多忙を極めました。いくら板を作っても間に合わない状態。サーフィンは最先端の若者達に受け入れられブレイクします。阿出川さんはよく太東が今の様になったのはいつ頃なの?と聞かれることがあるそうなのですが、御自身その質問には首をひねられてしまうそうです。いつ頃と言われても自分にはそれがいつなのか分からない。とおっしゃいます。
サーフィンに出会った時の初期衝動からずっと一筋に活動されてきた阿出川さんにしてみればそんなことは些細なことだったのかもしれません。 |
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闘病生活と太東
昨年阿出川さんは大病をわずらい右半身の自由を奪われてしまいました。東京での入院生活は苦しいもので太東でのリハビリ生活を通じて改めてココに住んでいる良さや感謝の気持ちが溢れてきたといいます。今では日常生活には問題の無い程、回復された氏ですがその回復の早さは驚異的なものだそうです。阿出川さんは「太東だったから回復したと断言できる」とおっしゃいます。
東京では海の水にも触れないし、太東のような景色も見れない。太東では歩いていればサーフィン仲間が声を掛けてくれるし、潮風や砂浜の感触が気持ちいい。太東でのリハビリ生活は他のどこよりも阿出川さんの回復に貢献しました。「東京に住んでいて同じ事やろうと思ったら何百万もかかるよ」と冗談を言いながら笑う阿出川さんを見ていると本当に太東が大好きだということが伝わってきました。1ページでは書き切れない本当にいいお話をありがとうございます。 |
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| 病気により右手の感覚に違和感があることを話してくれる阿出川さん。 |
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